解説
[1818~1888]幕末から明治時代の武士、政治家。文化14年11月29日生まれ。老中阿部正弘に重用され、大老井伊直弼にうとまれた。井伊没後、外国奉行、大目付などとなり、松平慶永らと大政奉還を説いた。維新後は東京府知事、元老院議官。明治21年7月31日死去。72歳。江戸出身。名ははじめ忠正、のち忠寛。通称は金之助、三市郎。号は石泉。お墓
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| 場所:多磨霊園(東京都府中市多磨町4-628)(11区1種2側) 墓正面:一翁忠寛之墓 撮影:2019年 |
コラム
幕末の開明派として知られる大久保一翁。その最期の眠りの場所には、興味深い歴史が刻まれています。小西四郎の『勝海舟のすべて』(1985年)が明かすところによると、大久保一翁の墓はもともと青山霊園の「1種10号40側1番」に位置していました。「現在の警視庁墓所通りの突き当たり」という記述から、墓が「1種ロ10号」にあった可能性が高いと考えられます。しかし昭和12年(1937年)10月、東京市の都市計画により、その眠りの場所は多磨霊園へと移されることになったのです。
興味深いのは、墓石の左側面に刻まれた「二千五百三十三年四月建」という文字です。これは紀元2533年、和暦でいうと明治6年(1873年)に相当し、大久保一翁が亡くなる15年前に建立されたことを示しています。多磨霊園に移されたお墓にもこの記述が残っていることから、墓碑は改葬時に新しく建てられたのではなく、青山霊園時代のものがそのまま移されたと考えられます。
これにより、大久保一翁の墓は、道路拡張という時代の変化に伴い、ついに多磨霊園で永遠の安らぎを得ることになったのです。

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