解説
[1819~1857]江戸時代後期の大名。文政2年10月16日生まれ。阿部正精の子。兄正寧の養子となり、天保7年備後(広島県)福山藩主阿部家7代となる。奏者番、寺社奉行をへて、弘化2年老中首座にすすむ。ペリーの開国要求などの難局に、徳川斉昭、島津斉彬らと協調して対処。日米和親条約を締結し、海軍伝習所・洋学所などを設立した。安政4年6月17日(「続徳川実紀」では27日)死去。39歳。字は叔道。号は裕軒。お墓
場所:谷中霊園内寛永寺墓地(東京都台東区谷中7-5-24) 墓正面:良徳院殿高誉信義節道大居士 撮影:2020年 |