解説
[1844~1895]明治時代の官僚、政治家。天保14年12月18日生まれ。司法省につとめ、明治5年渡欧して司法制度をまなぶ。大久保利通に登用されて頭角をあらわし、岩倉具視の側近として明治十四年の政変を画策。19年から伊藤博文のもとで、大日本帝国憲法、皇室典範、教育勅語などを起草。枢密顧問官となり、26年文相。子爵。明治28年3月17日死去。53歳。肥後(熊本県)出身。本姓は飯田。号は梧陰。著作に「梧陰存稿」など。お墓
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場所:瑞輪寺(東京都台東区谷中4-2-5) 墓正面:正三位勲一等子爵井上毅墓 撮影:2025年 |
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