伊藤博文(いとう ひろぶみ)

2014/05/16

2015年 政治家 東京都 内閣総理大臣

解説

[1841~1909]幕末から明治時代の政治家。天保12年9月2日生まれ。周防(山口県)の農民の子で、松下村塾にまなぶ。イギリス公使館焼き打ちに参加するなど尊攘運動にしたがうが、文久3年渡英。帰国後は開国をとなえ倒幕運動に活躍。明治4年岩倉遣欧使節団の全権副使となる。大久保利通の没後、内務卿となり、14年の政変で政府の実権をにぎる。内閣制度を創設して、18年初代の首相(組閣4回)となり、枢密院の設置、大日本帝国憲法の制定など、天皇制近代国家の枠組みをつくった。条約改正を実現し、日清戦争を遂行。33年政友会を創立して総裁。38年日露戦争後、統監府の初代統監となり朝鮮併合をすすめた。明治42年10月26日ハルビン駅で安重根に暗殺された。公爵。69歳。本姓は林。前名は俊輔。号は春畝など。

お墓

場所:伊藤家墓所(東京都品川区西大井6-10-18)
撮影:2015年

肖像

出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」

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