阪谷朗廬(さかたに ろうろ)

2017/06/27

2023年 漢学者 東京都

解説

[1822~1881]江戸後期から明治時代の漢学者。文政5年11月17日生まれ。阪谷芳郎の父。大坂で大塩平八郎、江戸で昌谷精渓らにまなび、郷里の備中(岡山県)にかえって、郷校の興譲館館長となる。維新後は陸軍省、文部省、司法省などにつとめた。明六社同人、東京学士会院会員。明治14年1月15日死去。60歳。名は素。字は子絢。通称は素三郎、希八郎。著作に「朗廬文鈔」「田舎話」など。

お墓

場所:谷中霊園(東京都台東区谷中7-5-24)(甲9号10側)
墓正面:朗廬阪谷先生之墓 撮影:2023年

肖像

出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」

参考サイト

検索

自己紹介

自分の写真
東京都在住の40代男性です。2005年から墓マイラーを始めました。

フォロワー

QooQ