秋山真之(あきやま さねゆき)

2022/11/27

2009年 軍人 神奈川県

解説

[1868~1918]明治から大正時代の軍人。慶応4年3月20日生まれ。秋山好古の弟。日清戦争に従軍後、アメリカに留学。帰国後、常備艦隊参謀となる。日露戦争では連合艦隊作戦参謀として海戦の作戦を指揮。日本海海戦での「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」の報告文は有名。大正3年軍務局長。6年海軍中将。戦略家として知られた。大正7年2月4日死去。51歳。伊予(愛媛県)出身。海軍兵学校卒。

お墓

場所:鎌倉霊園(神奈川県鎌倉市十二所512)(17区9側)
墓正面:秋山家 撮影:2009年

肖像

出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」

関連人物

コラム

鶴村松一の著書『秋山好古・真之将軍』(1978年)によれば、秋山真之のお墓はもともと青山霊園にありました。同書には墓石の写真も掲載されており、「秋山真之 室季子 之墓」と刻まれています。ネット情報によると、昭和62年(1987年)6月に鎌倉霊園へ改葬されたとのことです。

鎌倉霊園にあるお墓の墓誌には、右から「秋山大(長男)」「秋山少子(長女)」「秋山真之」「秋山季子」「秋山中(三男)」の名前が刻まれています。この中で最も早く亡くなったのは秋山真之ですが、墓誌では3番目に名前が記されています。これにより、もともと秋山大と秋山少子のお墓であった場所に、後から秋山真之と秋山季子が改葬されたことが推察されます。つまり、この改葬に際して新しい墓石は建てられなかった可能性が高いと考えられます。

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東京都在住の40代男性です。2005年から墓マイラーを始めました。

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