解説
[1745~1783]江戸時代中期の大名。延享2年生まれ。幕府の高家織田信栄の4男。織田信富の養子となり、明和元年上野(群馬県)小幡藩主織田家7代。山県大弐門下の吉田玄蕃を家老に起用、藩政の改革にあたらせる。大弐の兵学講義がもとで藩内抗争がおき明和事件に発展、4年蟄居となる。天明3年7月8日死去。39歳。通称は五百八。お墓
場所:高林寺(東京都文京区向丘2-37-5) 墓正面:織田家墓 撮影:2017年 |
古今東西、紀元前から平成まで日本全国「3,000人以上」の有名人のお墓を紹介しています。
墓マイラーが行く。