応其(おうご)

2016/05/31

2018年 和歌山県

解説

[1536~1608]織豊から江戸時代前期の僧。天文5年生まれ。真言宗。もと武士で38歳で遁世、高野山で木食修行をつむ。天正13年豊臣秀吉の高野山攻めに、一山を代表して和議をととのえ秀吉の信任をえる。京都方広寺、高野山の興山寺、金堂など多数の寺社を造営。連歌にもすぐれた。木食応其、興山上人と称される。慶長13年10月1日死去。73歳。近江(滋賀県)出身。字は順良。著作に「無言抄」。

お墓

場所:高野山奥の院(和歌山県高野町高野山550)
撮影:2018年

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東京都在住の40代男性です。2005年から墓マイラーを始めました。

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