解説
[?~1600]織豊時代の僧。臨済宗。安芸(広島県)の人。京都東福寺の竺雲慧心に師事。安芸安国寺住持などをへて、慶長5年南禅寺住持となる。この間、外交僧として毛利輝元と豊臣秀吉との講和を成立させ、秀吉の信任をえて大名の待遇をうける。朝鮮出兵にも従軍。関ケ原の戦いで西軍に属して敗れ、慶長5年10月1日京都六条河原できられた。享年は63歳とも、64歳とも。俗姓は武田。別号に瑶甫、一任斎。お墓
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場所:不動院(広島県広島市東区牛田新町3-4-9) 撮影:2017年 |
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場所:不動院(広島県広島市東区牛田新町3-4-9) 撮影:2017年 |
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