解説
[1537~1598]織豊時代の武将。天文6年生まれ。尾張(愛知県)の足軽木下弥右衛門の子。母はなか(天瑞院)。織田信長に足軽としてつかえ、浅井・朝倉両氏との戦いで功をたて、天正元年近江長浜城主となる。本能寺の変後、明智光秀、柴田勝家をやぶり、11年大坂城を築城。徳川家康を臣従させて18年全国を統一。この間関白・太政大臣となり豊臣姓を名のる。19年太閤。文禄元年と慶長2年の2度朝鮮に出兵するが失敗。太閤検地、刀狩りなどの新政策で兵農分離を促進し、近世封建社会の基礎を確立した。慶長3年8月18日死去。62歳。幼名は日吉丸、のち木下藤吉郎、羽柴秀吉。お墓
場所:豊国廟(京都府京都市東山区今熊野北日吉町) 撮影:2011年 |
場所:不動院(広島県広島市東区牛田新町3-4-9) 撮影:2017年 |
場所:高野山奥の院(和歌山県高野町高野山550) 撮影:2018年 |