解説
[1747~1818]江戸時代中期から後期の画家、蘭学者。延享4年生まれ。狩野派、南蘋派の画法をまなぶ。のち平賀源内らの影響をうけ洋風画を研究、天明3年わが国初の腐食銅版画を制作。油彩の風景画を手がけ、西洋の天文学、地理学も紹介した。文政元年10月21日死去。72歳。江戸出身。本姓は安藤。名は峻。字は君岳。別号に無言道人など。著作に「和蘭天説」「春波楼筆記」など。お墓
場所:慈眼寺(東京都豊島区巣鴨5-35-33) 墓正面:江漢司馬峻之墓 撮影:2024年 |
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場所:慈眼寺(東京都豊島区巣鴨5-35-33) 墓正面:江漢司馬峻之墓 撮影:2024年 |
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