解説
[1818~1861]江戸時代後期の武士。文政元年11月21日生まれ。嘉永7年老中阿部正弘に重用され目付となる。開明派の幕臣として海防・外交の第一線で活躍。安政5年日米修好通商条約に調印。反井伊直弼派であったため翌年免職、禄をうばわれ差控の処分をうけた。文久元年7月11日死去。44歳。本姓は設楽。字は善鳴。通称は忠三郎、修理。号は百里、蟾洲、鴎所。お墓
場所:雑司ヶ谷霊園(東京都豊島区南池袋4-25-1)(1種1号8側) 墓正面:従五位下肥後守爽恢岩瀬府君之墓 撮影:2008年 |
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