解説
[1837~1919]幕末から明治時代の政治家。天保8年4月17日生まれ。土佐高知藩士。戊辰戦争で総督府参謀をつとめ、明治4年新政府の参議となる。6年征韓論をめぐって大久保利通らと対立し、西郷隆盛らとともに辞職。翌年民選議院設立建白書を提出。帰郷して立志社をおこし、自由民権運動を指導した。14年自由党を結成して総理。24年再結成された自由党の総理。29年第2次伊藤内閣の内相。31年大隈重信と隈板内閣をつくり、内相。伯爵。33年政界を引退し、社会改良運動につくした。大正8年7月16日死去。83歳。初姓は乾。お墓
場所:品川神社(東京都品川区北品川3-7-15) 墓正面:邦光院殿賢徳道圓大居士 撮影:2021年 |
肖像
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 |