解説
[1828~1877]江戸後期から明治時代の武士、政治家。文政10年12月7日生まれ。西郷吉兵衛の長男。薩摩鹿児島藩士。藩主島津斉彬にみいだされるが、斉彬の没後、尊攘派対策で島津久光の怒りにふれて流罪、のちゆるされて藩政の主導権をにぎり、慶応2年坂本竜馬の仲介で倒幕の薩長同盟をむすぶ。4年戊辰戦争を指導、江戸城の無血開城を実現。新政府の陸軍元帥兼参議となるが、征韓論などで大久保利通らと対立し、下野して帰郷。西南戦争をおこし、敗れて明治10年9月24日城山で自刃した。51歳。前名は隆永。幼名は小吉、吉之介。通称は吉兵衛、吉之助。号は止水、南洲。変名に大島三右衛門、菊池源吾。お墓
場所:南洲墓地(鹿児島県鹿児島市上竜尾町) 墓正面:西郷隆盛墓 撮影:2010年) |
肖像
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 |