解説
[1666~1675]江戸時代前期の大名。寛文6年生まれ。土井利隆の3男。兄利重の養子となり、延宝元年下総古河藩(茨城県)藩主土井家第1次4代。延宝3年閏4月29日死去。10歳。お墓
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場所:谷中霊園内天王寺墓地(東京都台東区谷中7-5-24) 墓正面:土井家 撮影:2024年 |
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場所:谷中霊園内天王寺墓地(東京都台東区谷中7-5-24) 墓正面:瑞本院殿光岳日登大居士 撮影:2024年 |
コラム
古河藩の跡継ぎとして期待された土井利久。その最期の眠りの場所には、興味深い歴史が刻まれています。わずか10歳でその生涯を閉じた彼の墓は、通常であれば古河の菩提寺である正定寺に設けられるはずでした。しかし、正定寺には利久の名前が見当たりません。記録が明かすところによると、彼は東京都台東区の天王寺(当時の感応寺)に葬られたとされています。
興味深いのは、現在天王寺には最後の古河藩主・土井利与の眠る墓域内に「土井家」の墓があり、その墓誌には確かに利久の名が刻まれていることです。しかし、この地には更なる発見がありました。土井家の墓域から少し離れた場所に、「瑞本院殿光岳日登大居士」という戒名が刻まれた宝篋印塔が残されているのです。これこそが、土井家の墓に合葬される以前の、利久本来の墓石でした。
これにより、古い墓石がなぜ土井家の墓域外にあるのか、その謎は解明されていませんが、合葬墓と元の墓石が同時に現存する極めて稀少な例として、ついに歴史の奇跡が永遠に残されることになったのです。
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