解説
[1611~1652]江戸時代前期の大名。慶長16年4月生まれ。蜂須賀至鎮の長男。元和6年祖父蜂須賀家政を後見人として阿波徳島藩主蜂須賀家2代となる。大坂城普請手伝い、のち徳川家光の参内の供をつとめ侍従となる。慶安5年4月4日死去。42歳。幼名は千松丸。初名は正鎮、忠鎮。名は「ただひで」ともよむ。お墓
場所:興源寺(徳島県徳島市下助任町2-45) 墓正面:興源院殿前阿州太守従四位拾遺熙峰天庸大居士 撮影:2022年 |
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