解説
[1575~1631]織豊から江戸時代前期の武将。佐竹義重の次男。結城義親(白川義親)の養子となったが、天正15年後継者のない蘆名氏にむかえられ、陸奥会津黒川城主となる。17年伊達政宗と磐梯山の摺上原でたたかい、敗れて生家佐竹氏のもとにのがれ、のち秋田にうつった。初名は義広。お墓
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| 場所:天寧寺(秋田県仙北市角館町上新町10) 撮影:2020年 |
メモ
同墓域には、蘆名氏21代当主・蘆名盛俊の墓と、22代当主・蘆名千鶴丸の墓もあります。盛俊は20歳で死去したため、千鶴丸が1歳で家督を継ぎました。しかし、千鶴丸も3歳で事故死したため、蘆名氏は断絶しました。| 蘆名盛俊の墓 撮影:2020年 |
| 蘆名千鶴丸の墓 撮影:2020年 |

