解説
[1528~1582]戦国から織豊時代の武将。享禄元年生まれ。細川ガラシャの父。美濃(岐阜県)の土岐氏の一族とされる。故実、典礼に通じた教養ゆたかな武将で、はじめ朝倉義景につかえ、のち織田信長の家臣となって足利義昭の上洛に尽力。義昭や寺社、公家との交渉役をつとめる。元亀2年近江坂本城主となり、惟任日向守と称した。丹波攻略などに功をたて、亀山城主となる。天正10年信長を本能寺に討つが、羽柴(豊臣)秀吉に山崎の戦いで敗れて逃走中の6月13日農民に殺された。55歳。通称は十兵衛。お墓
場所:不明 |
場所:明智塚(滋賀県大津市下阪本3-5-35) 撮影:2016年 |
場所:本経寺(京都府京都市伏見区小栗栖小阪町5) 墓正面:明智日向守光秀公供養塔 撮影:2016年 |
場所:胴塚(京都府京都市山科区勧修寺御所内町36) 墓正面:明智光秀之塚 撮影:2016年 |
場所:首塚(京都府京都市東山区梅宮町474-23) 撮影:2016年 |
場所:高野山奥の院(和歌山県高野町高野山550) 撮影:2018年 |