解説
[1815~1864]江戸時代後期の武士。文化12年8月30日生まれ。加賀金沢藩士。江戸昌平黌にまなび、藩校明倫堂助教、世子前田慶寧の侍講となり、尊攘論をとなえる。元治元年禁門の変では萩藩との衝突をさけるため慶寧の京都からの撤退を主張。帰藩後捕らえられ、同年10月18日切腹。50歳。通称は順之助。号は有磯、顧堂など。著作の「治穢多之議」は部落解放論の嚆矢とされる。お墓
場所:多磨霊園(東京都府中市多磨町4-628)(22区1種101側) 墓正面:千秋君順之助墓 撮影:2019年 |
古今東西、紀元前から平成まで日本全国「3,000人以上」の有名人のお墓を紹介しています。
墓マイラーが行く。