解説
[1830~1874]幕末から明治時代の大名。文政13年5月4日生まれ。前田斉泰の長男。慶応2年加賀金沢藩主前田家14代となる。世子のとき側近に尊攘派があつまり、元治元年京都御所警護にあたったときも長州のため斡旋につとめた。禁門の変後、父斉泰に謹慎を命じられ、側近の勤王派は処刑された。戊辰戦争では新政府について北越に出兵。明治7年5月18日死去。45歳。初名は利住。通称は又左衛門。お墓
場所:野田山墓地(石川県金沢市野田町) 墓正面:贈従二位前田慶寧之墓 撮影:2009年 |
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