解説
[1798~1866]江戸時代後期の砲術家。寛政10年8月15日生まれ。長崎町年寄の父の跡をつぐ。オランダ人から西洋砲術をまなぶ。天保12年武蔵徳丸原(東京都)で洋式銃陣の演習をおこない、江川太郎左衛門英竜らに伝授した。安政2年幕臣となり、のち講武所師範役。慶応2年1月14日死去。69歳。名は茂敦。字は舜臣。通称は四郎太夫。お墓
場所:大円寺(東京都文京区向丘1-11-3) 撮影:2023年 |
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