解説
[1867~1955]明治から昭和時代前期の気象観測者。慶応3年8月生まれ。富士山頂越冬気象観測を計画し、明治28年山頂に私設観測所を建設。10月1日入山、あとから参加した妻の千代子とともに観測をつづけたが病にたおれ、12月22日下山した。その事績は落合直文「高嶺の雪」、新田次郎「芙蓉の人」などに作品化された。昭和30年2月28日死去。87歳。筑前(福岡県)出身。大学予備門中退。本名は到。お墓
場所:護国寺(東京都文京区大塚5-40-1) 墓正面:野中家之墓 撮影:2022年 |
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