会津松平家(あいづまつだいらけ)

2021/12/11

解説

会津三葵

会津松平家は、松平氏の庶流で武家・華族だった家。江戸幕府2代将軍徳川秀忠の四男で保科家へ養子に入った保科正之を家祖とし、江戸時代には親藩(家門)大名陸奥国会津藩主家として続き、明治維新後陸奥斗南藩主となったのを経て華族の子爵家に列した。保科松平とも称される。

会津松平家

藩:高遠藩→山形藩→会津藩
   
1保科正之土津神社福島県猪苗代町
2保科正経松平家院内御廟福島県会津若松市
3松平正容松平家院内御廟福島県会津若松市
4松平容貞松平家院内御廟福島県会津若松市
5松平容頌松平家院内御廟福島県会津若松市
6松平容住松平家院内御廟福島県会津若松市
7松平容衆松平家院内御廟福島県会津若松市
8松平容敬松平家院内御廟福島県会津若松市
9松平容保松平家院内御廟福島県会津若松市
  • 松平容保は、大正6年に正受院(東京都新宿区)から改葬されました。

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