解説
[1836~1893]幕末の大名。天保6年12月29日生まれ。美濃(岐阜県)高須藩主松平義建の6男。松平容敬の養子となり、嘉永5年陸奥会津藩(福島県)藩主松平(保科)家9代。文久2年京都守護職につき、公武合体を推進。会津戦争に敗れ、明治元年鳥取藩のち和歌山藩に永預となる。13年日光東照宮宮司。明治26年12月5日死去。59歳。通称は銈之允。号は祐堂、芳山。肥後守。お墓
場所:松平家院内御廟(福島県会津若松市東山町石山) 墓正面:正三位松平容保之墓 撮影:2009年 |
肖像
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 |
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