解説
[1744~1805]江戸時代中期から後期の大名。寛保4年1月9日生まれ。松平容貞の長男。寛延3年7歳で陸奥会津藩(福島県)藩主松平(保科)家5代となる。55年間藩主の座にあり、家老田中玄宰をもちいて藩政改革をすすめ、漆器製造、養蚕、酒造などの産業の発展につとめた。藩校日新館を開設。文化2年7月29日死去。62歳。初名は容綏、のち容清。お墓
場所:松平家院内御廟(福島県会津若松市東山町石山) 墓正面:会津中将源容頌之墓 撮影:2009年 |
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