解説
[1749~1827]江戸時代中期から後期の武士。寛延2年生まれ。幕府の徒士組頭から陸奥白川郡(福島県)塙の代官となる。「寺西八ケ条」や「子孫繁昌手引草」をつくって堕胎や間引きの防止などをはかり、公金貸付の資金で農村復興につくした。のち伊達郡(福島県)桑折代官をつとめた。文政10年2月18日死去。79歳。安芸(広島県)出身。通称は重次郎。お墓
場所:南泉寺(東京都荒川区西日暮里3-8-3) 墓正面:松樹院殿翠嶽豪山大居士 撮影:2017年 |
古今東西、紀元前から平成まで日本全国「3,000人以上」の有名人のお墓を紹介しています。
墓マイラーが行く。