解説
[1677~1752]江戸時代前期から中期の武士、大名。延宝5年生まれ。大岡忠高の4男。享保2年8代将軍徳川吉宗によって江戸町奉行にとりたてられ越前守と称した。公正な裁判、物価の安定、町火消の結成、小石川養生所の設立などに力をそそぎ名奉行といわれた。のち寺社奉行。寛延元年奏者番をかね、加増されて三河(愛知県)西大平藩主となった。1万石。宝暦元年12月19日死去。75歳。通称は市十郎、忠右衛門。お墓
場所:浄見寺(神奈川県茅ヶ崎市堤4317) |
場所:瑞輪寺(東京都台東区谷中4-2-5) 撮影:2017年 |