解説
[1684~1751]江戸幕府8代将軍。在職1716-45。貞享元年10月21日生まれ。徳川光貞の4男。母はお由利の方(浄円院)。はじめ越前丹生郡に3万石の領地をあたえられる。長兄綱教、次兄頼職があいつぎ死去したため、宝永2年紀伊和歌山藩5代藩主となり、藩財政の立て直しに実績をあげた。享保元年徳川家継の跡をつぎ、将軍となる。倹約の実行、実学の奨励、新田の開発、目安箱の設置など享保の改革をおこなう。米価対策に力をそそぎ米将軍(米公方)とよばれた。寛延4年6月20日死去。68歳。幼名は源六、新之助。初名は頼方。法号は有徳院。お墓
場所:寛永寺(東京都台東区上野桜木1-14-11) 撮影:2010年 |