解説
[1534~1582]戦国から織豊時代の武将。天文3年生まれ。織田信秀の子。永禄2年尾張(愛知県)を統一。3年桶狭間の戦いで今川義元を破る。徳川家康と同盟し、10年美濃を征服して岐阜を拠点とする。11年足利義昭を擁立して京都にはいるが、のち対立。天正元年義昭を追放し、室町幕府をほろぼす。浅井・朝倉連合軍との姉川の戦いで勝利し、伊勢長島の一向一揆を鎮圧、武田軍との長篠の戦いにも勝利。4年近江に安土城をきずく。天下統一を目前にして、明智光秀の謀反にあい、天正10年6月2日京都本能寺で自刃した。49歳。尾張出身。幼名は吉法師、三郎。官名は上総介。お墓
場所:阿弥陀寺(京都府京都市上京区鶴山町14) 撮影:2014年 |
場所:本能寺(京都府京都市中京区本能寺町522) 撮影:2011年 |
場所:瑞龍寺(富山県高岡市関本町35) 撮影:2015年 |
場所:高野山奥の院(和歌山県高野町高野山550) 撮影:2018年 |