解説
[1587~1645]江戸時代前期の医師。天正15年生まれ。曲直瀬玄朔にまなぶ。元和9年将軍徳川秀忠の侍医となり、のち将軍徳川家光の病をなおし、1000石の領地をえる。京都と江戸を往復、京都にいるときは天皇を診療した。正保2年4月20日死去。59歳。京都出身。名は宗什、諸品。号は啓迪院。著作に「灯下集」「玄冶方考」など。お墓
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場所:祥雲寺(東京都渋谷区広尾5−1−21) 墓正面:啓迪院法印陶室玄冶 撮影:2018年 |
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墓マイラーが行く。
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