解説
[1183~1242]鎌倉時代の武将。寿永2年生まれ。北条義時の長男。承久の乱では叔父北条時房とともに京都に攻めのぼる。乱後、初代六波羅探題北方。元仁元年3代執権となり、連署や評定衆の新設による合議制や貞永元年の「御成敗式目」の制定で執権政治を確立。和歌をよくし、「新勅撰和歌集」などに歌がある。仁治3年6月15日死去。60歳。初名は頼時。通称は江間太郎。法名は観阿。お墓
場所:常楽寺(神奈川県鎌倉市大船5-8-29) 撮影:2013年 |
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