解説
[1839~1877]幕末から明治時代の武士、軍人。天保9年12月生まれ。薩摩鹿児島藩士。はじめ中村半次郎と名のる。示現流の達人で、人斬り半次郎の名で知られた。西郷隆盛のもとで尊攘運動にしたがい、戊辰戦争では会津若松攻めの軍監となる。維新後陸軍少将、陸軍裁判所長をつとめるが、明治6年辞職。西南戦争で西郷軍の総指揮をとり、明治10年9月24日鹿児島城山で戦死した。40歳。通称は信作。お墓
場所:南洲墓地(鹿児島県鹿児島市上竜尾町) 墓正面:桐野利秋墓 撮影:2010年 |
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場所:南洲墓地(鹿児島県鹿児島市上竜尾町) 墓正面:桐野利秋墓 撮影:2010年 |
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