解説
[1844~1867]幕末の武士。弘化元年生まれ。千葉周作に北辰一刀流をまなぶ。新選組が創設されると副長助勤、八番隊組長。慶応3年伊東甲子太郎とともに脱隊、御陵衛士となる。同年11月18日近藤勇により伊東が謀殺された際、現場へかけつけ新選組とたたかい討ち死に。24歳。伊勢津藩主藤堂高猷の落胤とも。江戸出身。お墓
場所:戒光寺(京都府京都市東山区泉涌寺山内町29) 墓正面:藤堂平助藤原宣虎 撮影:2008年 |
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