解説
[1832~1866]幕末の新選組七番隊組長。槍術師範。お墓
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場所:本伝寺(大阪府大阪市北区兎我野町14−3) 墓正面:谷累代之墓 撮影:2025年 |
コラム
新選組七番組組長として知られる谷三十郎。その最期の眠りの場所には、興味深い歴史が刻まれています。慶応2年に謎の死を遂げた彼の墓は、大阪府大阪市の本傳寺にあります。正面には「谷累代之墓」と刻まれ、左側面に谷三十郎の名前が記されています。しかし、裏面の「大正十年十二月 岩田弁太郎 建立」という記述が明かすところによると、この岩田弁太郎とは、谷三十郎の弟である谷万太郎の息子にあたるのです。
興味深いのは、本傳寺の墓は実際には谷万太郎の家系の墓であり、そこに供養の意味で谷三十郎の名前も刻んだものと考えられることです。おそらく実際の納骨はされていないでしょう。記録によれば、京都府京都市の光縁寺に埋葬されたとされています。ところが現在、光縁寺にある墓碑を見ても、谷三十郎の名前は刻まれていません。
これにより、なぜ墓石に名前がないのか、その理由が謎のまま、ついに新選組七番組組長の真の眠りの場所が永遠の謎として残されることになったのです。
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