下田歌子(しもだ うたこ)

2017/10/08

2022年 教育者 東京都

解説

[1854~1936]明治から昭和時代前期の教育者。嘉永7年8月8日生まれ。美濃(岐阜県)岩村藩儒者・平尾鍒蔵の娘。祖父は東条琴台。明治5年女官となり、皇后から歌子の名をうける。下田猛雄と結婚。14年桃夭女塾を開設。18年華族女学校(女子学習院の前身)の設立に参画し、教授、学監となる。31年一般の女子のために帝国婦人協会を設立し、翌年、付属の実践女学校(実践女子大の前身)を創立した。昭和11年10月8日死去。83歳。幼名は鉐。著作に「香雪叢書」「家政学」など。

お墓

場所:護国寺(東京都文京区大塚5-40-1)
墓正面:従三位勲三等下田歌子墓 撮影:2022年

肖像

出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」

参考サイト

検索

自己紹介

自分の写真
東京都在住の40代男性です。2005年から墓マイラーを始めました。

フォロワー

QooQ