木戸孝允(きど たかよし)

2016/08/10

2008年 京都府 政治家

解説

[1833~1877]幕末から明治時代の政治家。天保4年6月26日生まれ。長門(山口県)萩藩医和田昌景の次男。桂孝古の養子。嘉永2年吉田松陰の松下村塾にはいる。のち江戸に遊学する。小五郎と称し、新堀松輔の変名もつかった。慶応元年木戸と改姓。西郷隆盛と薩長同盟をむすび、倒幕をはかる。明治新政府の中枢にあって、「五箇条の誓文」の起草、版籍奉還、廃藩置県を主導した。明治3年参議となり、4年岩倉遣外使節団の全権副使。内政重視の立場から征韓論に反対、台湾出兵にも反対して、独裁をつよめる大久保利通と対立、政権の主流からはなれた。西南戦争のさなかの明治10年5月26日病死。45歳。号は松菊、木圭など。

お墓

場所:京都霊山護國神社(京都府京都市東山区清閑寺霊山町1)
墓正面:内閣顧問勲一等贈正二位木戸孝允墓 撮影:2008年

肖像

出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」

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