解説
[1836~1867]幕末の武士。天保6年11月15日生まれ。家は土佐高知城下の郷士。文久元年土佐勤王党にくわわり、翌年脱藩して勝海舟の門にはいって航海術などをまなび、開国論にめざめる。神戸海軍操練所の塾頭をつとめる。慶応元年長崎で亀山社中(のちの海援隊)をつくり海運・貿易に従事。2年西郷隆盛と木戸孝允の間をとりもち薩長同盟を成立させる。「船中八策」の構想のもとに幕府の大政奉還を実現させ、新統一国家の建設を目ざしたが、慶応3年11月15日京都近江屋で中岡慎太郎とともに暗殺された。33歳。名は直陰、のち直柔。変名は才谷梅太郎。お墓
場所:京都霊山護國神社(京都府京都市東山区清閑寺霊山町1) 墓正面:坂本龍馬紀直柔之墓 撮影:2008年 |
肖像
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 |