解説
[1898~1962]昭和時代の作曲家、音楽教育家。明治31年3月31日生まれ。昭和7年ドイツに留学、ベルリン高等音楽院でヒンデミットに師事。帰国後、母校東京音楽学校(現東京芸大)の教授となり、作曲、音楽理論をおしえた。作品に「三味線協奏曲」「箏協奏曲」、ほかに童謡「たなばたさま」など。著作に「作曲法」「和声学」など。昭和37年7月8日死去。64歳。埼玉県出身。お墓
場所:小平霊園(東京都東村山市萩山町1-16-1)(27区2側) 墓正面:昊樂院徳譽覺道居士 撮影:2023年 |
古今東西、紀元前から平成まで日本全国「3,000人以上」の有名人のお墓を紹介しています。
墓マイラーが行く。
0 件のコメント:
コメントを投稿