解説
[1529~1596]戦国から織豊時代の武将。享禄2年生まれ。本多重正の子。松平清康・広忠につかえ、徳川家康の重臣となる。岡崎三奉行のひとりで、はげしい性格から鬼作左とよばれた。長篠の戦いのとき、妻にあてたみじかい手紙は有名。文禄5年7月26日死去。68歳。通称は八蔵、作十郎、作左衛門。お墓
場所:本光院(福井県坂井市丸岡町巽町3-3) 墓正面:本誓院殿月窓浄運大居士 撮影:2022年 |
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