解説
[1776~1843]江戸時代後期の国学者。安永5年8月24日生まれ。出羽久保田藩(秋田県)藩士大和田祚胤の子。20歳で江戸に出、備中(岡山県)松山藩士平田篤穏の養子となる。本居宣長没後の門人を称する。儒教を批判し、尊王思想をとなえ、幕末の尊攘運動に影響をあたえた。天保14年閏9月11日死去。68歳。通称は大角、大壑。号は真菅乃屋、気吹乃屋。著作に「古史伝」「古道大意」「霊能真柱」など。お墓
場所:平田篤胤墓所(秋田県秋田市手形大沢21-1) 墓正面:平田篤胤之奥墓 撮影:2020年 |
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「平田篤胤墓」として国指定史跡に指定されています。
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