解説
[1821~1847]江戸時代後期の地理学者。文政4年生まれ。陸奥水沢(岩手県)領主留守氏の家臣佐々木秀規の次男。箕作阮甫に入門し、その3女の婿となる。世界地図「輿地全図」、地誌「坤輿図識」を編訳し、世界の最新情報として幕末期の人々に影響をあたえた。弘化3年12月13日死去。26歳。名は寛。字は玉海。号は夢霞山人。お墓
場所:多磨霊園(東京都府中市多磨町4-628)(14区1種2側) 墓正面:箕作省吾之墓 撮影:2022年 |
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