解説
[1830~1889]幕末から明治時代の歌舞伎囃子方。天保元年生まれ。能楽観世流の太鼓方から歌舞伎囃子方の5代望月太左衛門の弟子となり、望月太意次郎を名のる。明治初年から藤舎芦船の名で囃子主任として吾妻能狂言に参加。また八雲琴を改良し、東流二弦琴家元となった。明治22年1月18日死去。60歳。本名は加藤宗三郎。お墓
場所:谷中霊園内天王寺墓地(東京都台東区谷中7-5-24) 墓正面:初代藤舎蘆船之墓 撮影:2024年 |
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