解説
[1861~1894]明治時代の地質学者。万延元年11月21日生まれ。原田一道の長男。明治7年父にしたがってドイツへいき、ミュンヘン大などでまなぶ。帰国後、地質調査所次長、帝国大学教授。日本列島の構造について、単一説をとるナウマンのフォッサ-マグナ後生説を批判し、論争となった。明治27年12月2日死去。35歳。江戸出身。著作に「日本群島地質構造論」など。お墓
場所:谷中霊園内天王寺墓地(東京都台東区谷中7-5-24) 墓正面:理學博士ドクトル正六位原田豊吉墓 撮影:2024年 |
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墓マイラーが行く。
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