解説
[1835~1901]幕末から明治時代の蘭方医。天保6年9月3日生まれ。戸塚静海の養子。緒方洪庵、坪井信道、のち長崎でボードインに師事し、徳川慶喜の侍医となる。明治5年海軍省にはいり、9年軍医総監、10年初代医務局長。退官後、高木兼寛らと共立東京病院(東京慈恵医院の前身)を設立した。明治34年9月9日死去。67歳。備中(岡山県)出身。本姓は中桐。名は正孝。お墓
場所:谷中霊園内天王寺墓地(東京都台東区谷中7-5-24) 墓正面:海軍軍医総監従三位勲二等戸塚文海墓 撮影:2021年 |
古今東西、紀元前から平成まで日本全国「3,000人以上」の有名人のお墓を紹介しています。
墓マイラーが行く。