解説
[1813~1895]江戸後期から明治時代の医師。文化10年3月3日生まれ。江戸で足立長雋にまなぶ。佐藤泰然とともに長崎に遊学し、ニーマンに師事。万延元年幕府につかえ、のち侍医となり、法眼にすすむ。維新後は沼津病院副院長、大阪医学校長などをつとめた。明治28年2月2日死去。83歳。豊前小倉(福岡県)出身。名は彊。字は健卿。訳書にワートル「窊篤児薬性論」など。お墓
場所:吉祥寺(東京都文京区本駒込3-19-17) 墓正面:林松院殿蒼雲洞海大居士墓 撮影:2023年 |
肖像
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 |