解説
[1849~1920]明治から大正時代の医学者。嘉永2年9月15日生まれ。鹿児島で西洋医学をまなび、明治5年海軍軍医。イギリスに留学、18年海軍軍医総監となる。脚気の栄養原因説を主張、麦飯の採用など兵食の改善で海軍の脚気を撲滅。成医会講習所(東京慈恵医大の前身)、有志共立東京病院、看護婦養成所を設立。日本最初の医学博士。大正9年4月13日死去。72歳。日向(宮崎県)出身。幼名は藤四郎。号は穆園。お墓
場所:青山霊園(東京都港区南青山2-32-2)(1種イ10号21側) 墓正面:報國院殿慈心行照大居士 撮影:2023年 |
肖像
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 |