解説
[1810~1863]江戸時代後期の医学者、蘭学者。文化7年7月14日生まれ。大坂にでて中天游に、天保2年江戸で坪井信道に入門。長崎に遊学の後、大坂に適々斎塾(適塾)をひらく。門人は3000人ともいわれ、大村益次郎、福沢諭吉らがいる。文久2年幕府にまねかれ、奥医師と西洋医学所頭取をかねた。文久3年6月10日死去。54歳。備中(岡山県)出身。本姓は佐伯。名は章。字は公裁。通称は三平。別号に華陰、適々斎。著訳書に「病学通論」「人身窮理小解」など。お墓
場所:高林寺(東京都文京区向丘2-37-5) 墓正面:侍医兼督学法眼緒方洪庵之墓 撮影:2008年 |
場所:龍海寺(大阪府大阪市北区同心1-3-1) 墓正面:洪庵緒方先生之墓 撮影:2016年 |