解説
[1837~1913]江戸幕府15代将軍。在職1867-68。天保8年9月29日生まれ。常陸水戸藩主徳川斉昭の7男。母は徳川吉子(貞芳院)。一橋家をつぎ、文久2年将軍後見職として徳川家茂を補佐。その死後慶応2年将軍となり幕政の改革をはかるが、3年大政を奉還し将軍職を辞任。4年鳥羽・伏見の戦いで敗れ、江戸開城後は水戸ついで駿府で謹慎した。明治2年謹慎を解かれたが、以後表舞台にはたたず、放鷹、油絵、写真などの趣味に生きた。大正2年11月22日死去。77歳。幼名は七郎麿。初名は昭致。字は子邦。お墓
場所:谷中霊園内寛永寺墓地(東京都台東区谷中7-5-24) 撮影:2018年 |
肖像
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 |