解説
[1768~1841]江戸時代後期の儒者。明和5年6月23日生まれ。美濃(岐阜県)岩村藩主松平乗薀の3男。渋井太室らにまなぶ。寛政5年幕命により血統のたえた幕府儒官の林家をつぎ、大学頭となり、昌平坂の聖堂学舎を幕府の学問所(昌平黌)とする。幕府の事業として「寛政重修諸家譜」「徳川実紀」などを編修、「佚存叢書」も刊行。天保12年7月14日死去。74歳。名は衡。字は徳詮。別号に蕉隠、蕉軒、天瀑。お墓
場所:林氏墓地(東京都新宿区市谷山伏町1-15) 撮影:2017年 |
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