解説
[1840~1923]明治から大正時代の日本画家。天保11年9月4日生まれ。沖一峨、佐竹永海、菊池容斎にまなび、歴史画や挿絵をかいた。日本美術院創設にくわわり、文展審査員、帝国美術院会員となる。安雅堂画塾をひらき、今村紫紅、速水御舟らをそだてた。大正12年6月22日死去。84歳。常陸(茨城県)出身。本名は敬忠。別号に洋峨、永峨。代表作に「蒙古襲来・碧蹄館」「静女舞」。お墓
場所:全生庵(東京都台東区谷中5-4-7) 墓正面:松本家累代墓 撮影:2023年 |
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